実は、私。
伝統ある某高校の応援団で団長を務めていました。
高校入学時から即応援団活動は開始。
スパルタとも呼べるしごきや鬼の練習、礼儀に厳しく、ゲイバーなみの上下関係に耐えた。
2年生の時には我が母校は甲子園出場。炎天下の甲子園球場の演台で迫真の演技を披露することができた。
そして、3年生になった時は、団長として後輩の育成や全校生徒のまとめなど、言葉には決して表すことのできない苦労を重ねることができた。
あの頃、私はカッコよかった。小栗旬なみに。
そんな青春時代の深い思い出がいっぱい詰まった応援団。
それが今、無くなろうとしている。
時代の流れに乗り切れなかったか。
現在の応援団員は全学年で、たったの4人。
たった4人では何もできない。
太鼓もいなければ、団旗を掲げる人もいない。
金もいらなきゃ、女もいらね。わたしゃ、も少し背が欲しい。
そんな状況下の為、今回は応援団OBが協力することになった。
応援前日。
一通のメールが届いた。
OB会より私に指令が下ったのだ。
「学ラン持参」
と。
私、三十路を過ぎましたが。
30歳過ぎて学ランを着ていいのは学生コントでお馴染み「ゆーとぴあ」だけだ。
これは憲法に定めたいくらいの鉄則だ。あのゴムパッチン芸は無形文化財に相当する。
「先生!」
「おお、生徒!」
ズッコケ。
この一連の流れに乗りたくない為、学ランを持参せずに球場に向かった。
球場に到着するや、荷物運びからの手伝い。
応援席に到着後は、太鼓の準備や団旗の準備に取り組んだ。
太鼓を叩くのは去年卒業したばかりの若手OBたち。
そして、団旗を掲げるのは、20年以上前に卒業した、ベテランOB。
まさに、ダルビッシュ対清原の風貌だ。
球場の一番後ろ。希望と共に大きな団旗を掲げるベテランOB。
おそらく、会社では役職がついているだろう。
部下にも尊敬され、家族にも愛され、友人たちも多く慕われているだろう。
もうじき40歳。人生の大先輩。
学ランである。
学ランを身にまとい、入らなくなったズボンは礼服でごまかし、学生帽をかぶる40代がふたり。放送コード、ギリギリだ。
肩から下げた皮ベルトを腰まで回し、そのベルトには長いポールを挿す。
長いポールの先には、風になびく藍染めの大きな団旗。
それを中腰で支えつづける。
会社の部下よ。
そんな上司を許してやってくれ。
視点を変えればカッコいいではないか。
決して学生コントではない。
危機感に包まれた応援団。
現役の人数の少なさから、OBが自ら体を張り団旗を支え続ける。
観客からは白い目で見られ、現役からも不安げな目で見られる。
そんな状況を察知してか、2年前に卒業したばかりの若手OBが現役の団長に喝を入れにきた。
「この状況を見ろ!俺より遥か年上のOBが、恥ずかしい思いを我慢してがんばっているんだ。
お前らが、頑張らなくてどうする。気合入れろ!」
確かにその通りだ。
盗み聞きしながら、心の中でうなずく私。
風になびく団旗を一生懸命抱えているだろう大先輩。
重く大きな団旗を掲げる大先輩の勇姿をもう一度確認する為、私は振り返り、球場の一番後ろに目をやった。
写メ、撮りあってました。
学ランに学生帽のオヤジが旗を掲げる。
その姿を、学ランに学生帽のオヤジがパシャリ。
終わったかと思いきや、旗とカメラをチェンジしてパシャリ。
お互いケータイを見せ合う学ランのオヤジ。
それを繰り返すふたりのオヤジ。
大きいよ。大きすぎるよ、大先輩。
彼らには恥ずかしいなど微塵もない。
あるのはむしろ学ランに対する誇りである。
例え、放送コードがギリギリでも。
人生はゴムのようなものだ。
長いようで短い。短いようで長い。
さあ、人生を噛み締めるのだ。
頭の中で、そう聞こえた。ゴムパッチンの音も。
一刻も早く、そんな先輩に近づきたい。
そんな野球応援だった。
ちなみに。
こんな記事を書きながらも、応援団の存続は笑っていられる場合じゃございません。
更に、過去に学ランをかけた罰ゲームをやったこともございます。コチラ。二部構成。